ここでは当自剛天真流抜刀術を初めとする居合・抜刀術・武道に関する、用語の説明をしています。
《武芸》
敵を倒し、自分の身を守るための攻防の技術。武技。武術。近世初頭の『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』や『清正記(せいしょうき)』には、馬、兵法(ひょうほう)(剣)、弓、鉄砲の四つをあげ、武芸四門と呼んだ。
江戸中期には、武士のたしなみとして弓・馬・剣・槍(やり)の四つが重視され、これに柔・砲・兵学を加えて七芸と呼んだ。
又、武芸十八般とは普通”弓・馬・槍・剣・水泳・抜刀・短刀・十手・手裏剣・含針・薙刀・砲・捕手・柔・棒・鎖鎌・もじり・忍術”を言う。
尚、今日略字で《芸》と書くが、元は《藝》である。この字の草冠と云を除いた中央の部分は”人間が背中を丸めて植物を土に植える形”から生まれた。
転じて”人間が習得して身につけた技”を意味するようになった。それが、武芸者を単に”芸者”とも呼んでいた理由でもある。だから今の”芸”は本来の意味の本質を失っている。
《歩み足》
(”あゆみあし”と読みます)
前後に移動する際、普通に歩く時と同じように右足・左足の前後を入れ替えて移動する足捌きを”歩み足”と言います。
逆に、剣道のように常に右足が前、左足が後の足捌きを"送り足"と呼び、採用している流派もあります。
《送り足》(”おくりあし”と読みます)
前後に移動する際、剣道のように常に右足が前、左足が後となる足捌きを”送り足”と言います。
《なんば歩き》
前後に移動する際、右手と右足、左手と左足が同時に前後に出す歩き方。
江戸時代以前の日本ではナンバ歩きが一般人の間で広く行われていたが、明治以降、西洋的生活様式の移入とともに失われたとされる。
なんば歩きは腰を捻らないので消費エネルギーが少なく、長距離の移動に適している。
四足動物にも、馬・象・キリン・犬等になんば歩きが見られます。動物の場合、側対歩と斜対歩がある。
(1)側対歩:右前脚と右後脚、左前脚と左後脚のように同じ側の脚が対になって繰り出す。
(2)斜対歩:左前脚と右後脚、右前脚と左後脚のように対角線の脚を同時に繰り出す。
側対歩には上下の動きが少ない為、背中に荷物を載せても荷崩れしにくいという特徴がある。
その為、流鏑馬にはこの側対歩の馬が適していたと言える。
《居合》
(”いあい”と読みます)
(広義には)すわったまま、あるいは立った姿勢で、素早く抜刀し、敵を切り倒す剣法。
戦国末期、林崎甚助重信が創始し、神夢想林崎流と号した。
(狭義には)座った姿勢からの抜刀の意味で使用し、立った姿勢での抜刀を
”立合”と区別する。
及び《抜刀術》に対する”居合”がある。
《井桁崩し》
(”いげたくずし”と読みます)
※ 井桁崩し:古武道家”甲野 善紀”さんが唱えている用語で、2つの動作を1挙動に縮めて行う事。
自剛天真流抜刀術三方斬の場合、次の動作を1挙動にて行う。
(1)体の向きを180°後に変える
(2)振り下ろした刀を上段に構える
つまり、振り下ろした刀を上段に移しながら、同時に体の向きを180°後に変える動作で
向きが変わった際には、刀は上段に構えており、すぐ様相手に斬り下す事が出来る。
尚、自剛天真流には井桁崩しに相当する用語として紫電がある。
《霞》
(”かすみ”と読みます)
相手の「目」、又は「こめかみ」の位置を意味します。
つまり、霞を斬ると言う事は、相手を確実に仕留めるという意味です。
《口伝》
(”くでん”と読みます)
技の内容、意味、動作の詳細な説明を口頭でのみ行う事。
文字として残さないので、特定の門人にしか伝授しない技に利用される。
《袈裟掛け》
(”けさがけ”と読みます)
袈裟斬り。一方の肩から斜めに他方の脇の下へかけて斬り下げること。
仏僧の用いる袈裟のように、身体を斜めに縦断することから名付けられた。
右から左に斬り下がる”右袈裟”と左から右に斬り下げる”左袈裟”がある。
袈裟斬りの反対で、下方から斜めに斬り上げる【逆袈裟】(ぎゃくげさ)もある。
佐々木小次郎の”燕返し”は袈裟から逆袈裟の連続技である。
《残心》
(”ざんしん”と読みます)
倒れた相手が起き上がる可能性を想定して、相手を切った後もしばらく相手に気を遣い、
起き上がる様子あれば直ぐに再度斬る・刺す等の動作が出来る状態を保つ事。
納刀した後も一呼吸は残心が必要である。
油断のない身構えと心構えの事。
《紫電》
(”しでん”と読みます)
2つの動作を1挙動にて間断なく行う事で、無駄を無くし、動作を早くする事です。
《守破離》
(”しゅはり”と読みます)
" 守破離"の言葉をはじめて使ったのは、室町の三代将軍足利義満の時代に、「能」を育て上げた観阿弥、世阿弥親子です。
現在は能だけでなく、歌舞伎、狂言、書道といった日本の伝統芸能、剣道や居合道、空手など武道の世界でも
守破離という言葉が広く使われています。
その道を修行する過程段階を示した言葉で、大きく”守・破・離”の三つの段階に分けられます。
(1)守…ひたすら教えを守り、学ぶ
(2)破…教えの言葉から抜け出し、真意を会得する
(3)離…型に一切とらわれず、自在の境地に入ること
《撞木足》
(”しゅもくあし”と読みます)
撞木足の”撞木”は寺院の釣り鐘を突く棒のことです。
撞木足はこの釣り鐘を突く時の姿勢を保つのが良いとされています。
これは立会いの場が道場ではなく、
屋外の足場の悪い場所や複数の敵を相手にする場合を想定した姿勢で、
体を前後左右へ自在に移動するのに自然な足さばきです。
逆に禁止していた流派(全日本剣道連盟居合、北辰一刀流等)もあります。
《丹田》
(”たんでん”と読みます)
丹田とはだいたい握りこぶし程度おへそから下がった所。
普通の胸式呼吸法では息使いによって相手に此方の弱点を知られてしまう。
そこで腹式呼吸法が採用されている。
丹田呼吸法とは (腹式呼吸法とは)
息を吸い、意識的に下腹を一度張り、息を吐く時に意識的に下腹を縮める方法である。
《手の内》
(”てのうち”と読みます)
刀の柄の握り方を手の内と言います。
映画やテレビの時代劇では、竹刀剣道のように柄を握るとき左手は右手より
大きく離して柄頭付近を握っているが、
これでは刃筋は通らず、刀がぶれたり、刀は曲がったり折れたりして、
斬れ味も悪く、敵に致命傷を与える事は出来ない。
右手は添えるだけで、左手は右手から親指一本分、または他の指の二本分を右手から離して握り、
左手小指に力を入れて握り、薬指、中指と順に力が弱くなり、親指と人差し指は力を抜いて握る。
右手は力を抜いて柔らかく握ります。
袈裟斬りなどは左手七分右手三分の力配分で、斬る瞬間に「雑巾しぼり」
の要領で両手の親指を内側に絞り込む。
据え物斬りは左手六分右手四分の力配分となります。
《抜付け》
(”ぬきつけ”と読みます)
刀を抜刀した後、抜刀の勢いを利用してそのまま相手に斬りつけること。
流派によっては、この《抜付け》が存在しない流派がある。
《抜打ち》ともいう。
《寝た刃合せ》
(”ねたばあわせ”と読みます)
すべすべした刀身、特に刃の部分に荒研叉は木賊でこすったり、
砂の中に刀身を突き刺してギザギザ状にする事。
これは、磨きたてのすべすべした刀身を、鋸の様に刃をギザギザ状にして、
より斬れ易くする為に行なう。
また、切り合いを重ね、血糊などで切味が鈍ったときにも行う。
《刃筋》
(”はすじ”と読みます)
刀の刃の通る道筋、方向の事です。
「刃筋が正しい」とは、刀の通る方向と刃部の向きが同方向である場合で、良く切れます。
逆に「刃筋が悪い」と、当たった瞬間に折れたり、曲がったりします。
《抜刀術》
(”ばっとうじゅつ”と読みます)
自剛天真流抜刀術はその名の通り抜刀術であって居合ではありません。
居合は抜く迄が居合としての醍醐味であって、
一旦抜いた後は単なる剣術となります。
一方、抜刀術は刀の扱い方を訓練し、手を慣らすのが目的です。
剣術が術として体系化されたのは江戸時代になってからですが、
この時代、武士と雖も自由に刀を抜くことは出来ませんでした。
そして唯一武士が堂々と刀を抜くことが出来たのが抜刀術や居合の稽古の場合でした。
《斬り試し》
”斬り試し”には生き胴試し、死人試し、及び堅物試しの三種類ある。
・生き胴試しは、死罪の囚人を「生き袈裟」として袈裟懸けに斬り下げる試し方である。
・死人試しは、死体を土壇場に座位又は臥位の状態にして斬る試し方である。二つ胴、三ツ胴と胴を固く縛って斬る。
身体の斬る場所によって下から、両車、三ツ胴〜一ツ胴、脇毛、乳割、雁金等の種類がある。
・堅物試しは、兜割や鉄片等の堅い物を切って刀の強靭性を試すもので、”荒試し”とも言う。
《見切り》
(”みきり”と読みます)
相手の刀が自分に届くかどうかを見極める技。
相手の太刀先を五分の距離で見極める【五分の見切り】とか
相手の太刀先を一分の距離で見極める【一分の見切り】がある。
《目付け》
(”めつけ”と読みます)
立会いにおいて、相手のどこを見るか、どう意識するか、何処に目を付けるか、ということです。
相手の一点だけを凝視するのでは無く、周囲にいる「複数の相手」に気を配る事を言う。
「遠山の目付け」(とおやまのめつけ)として次のように言われている。
相手の姿を全体的に見て、その後に遠くの山を眺めるかの様な視線。
宮本武蔵の「五輪書」の「水の巻」には
「兵法の目付と云事」に次のように記述されている。
目の付け方は、十分に広く付ける目である。
目の付け方には「観」「見」の二つがあり、観の目は強く、見の目は弱く、
遠い所を近く見、近い所を遠く見ることが、兵法の特徴である。
敵の太刀を知り、いささかも敵の太刀を見ないということが、兵法に大切である。
工夫がないといけない。
この目付は、小さな兵法にも、大きな兵法にも同じ事である。
目玉は動かずに両脇を見ることが肝心である。
このようなことは、忙しい時に、にわかにはわきまえがたい。
この書き付けを覚え、普段この目付になって、何事にも目付の変らないことを、
よくよく吟味しなければならない。
又、「兵法三十五箇條」には次のように記述されている。
普段よりも目を細くしてそれとなく見ること。
そうすれば、敵が近くにいても遠くも良く見る事ができ、
敵の技は云うに及ばず、両脇までも良く見る事が出来る。
しかし又、敵に知られると言う”目”もある。意思は目に付くが、心には付かない。
よくよく吟味しなければならない。
《全日本剣道連盟居合》
1969年(昭和44年)に全日本剣道連盟(全剣連)が制定した居合道の形。剣道人のための居合道入門用の形として、居合道各流派の基本的な業や動作を総合して制定された。
しかし、制定の業はどの流派の業にもとらわれない、という前提のため、基となった技に独自の動作を振付けられている。
基となった業は具体的には
一本目 「前」:大森流の「初発刀」が基の技
二本目 「後ろ」:大森流の「当刀」が基の技
三本目 「受け流し」:大森流、無双直伝英信流及び伯耆流から採用
四本目 「柄当て」:英信流及の「立膝」が基の技
五本目 「袈裟切り」:伯耆流の「磯波」が基の技
六本目 「諸手突き」:同じ技が諸流にある
七本目 「三方切り」:同じ技が諸流にある
八本目 「顔面当て」:夢想神伝流奥居合の「行達」や「門人」が基の技
九本目 「添え手突き」:伯耆流の「切先返」が基の技
十本目 「四方切り」:奥居合や伯耆流に見られる技
十一本目 「総切り」
十二本目 「抜き打ち」
尚、(1)足の構えが制定居合は左右のつま先を敵に向けて真っ直ぐ平行とし、撞木足にはしない、
(2)刀を振り下ろした際等に「エイッ」と言った気合は入れない等問題点がある。
《打太刀と仕太刀》
組演武の型を行う時、動作を仕掛ける者と受ける者の役割を指す。
打太刀は「師の位」で常に技を仕掛ける人、技を受ける仕太刀は「弟子の位」とされ、
上級者(年配者)が打太刀、下級者(若輩者)が仕太刀をなる。
《介者剣術と素肌剣術》
室町〜戦国時代、甲冑を装着した武者同士の太刀による戦闘方法は、介者剣術と呼ばれ、
深く腰を落とした姿勢から目・首・脇の下・金的・内腿・手首といった、
鎧の隙間となっている部位を狙うような戦法であった。
江戸時代、甲冑着用が前提の介者剣術から、平服・平時の偶発的な個人戦を前提とする素肌剣術へと変わった。
《相打ちと相抜け》
相打ちについて鈴木大拙先生は「mutual striking down」と訳しておられ、その説明には「killing each other」という言葉を使っておられる。
”剣法夕雲先生相伝”には「己に劣れるに勝ち、まされるに負けて、同じようになるには相打ちより外は無くて、一切埒のあかぬ」と説明している。
相打ちは捨て身の戦法ながら必勝の道でもある。だから古来の剣客はその呼び名はともあれこの理合いを剣の最高の極意としてきた。
ところが無住心剣流の針谷夕雲はそれすら人間の道としては肯定できないとした。そんなものは「一切埒のあかぬ」「畜生心」とか「畜生兵法」として排斥している。
そして、自分の剣法は”相抜け”が極意だとしている。そして針谷夕雲の弟子の一雲は「聖と聖との出合いならばいつも相抜け也」と説明している。
相抜けについて鈴木大拙先生は「mutual escape」と訳し、抜けを「passinng by」とか「going through」と説明しておられる。
尚、相抜けの境地に達したのは無住心剣流の外に無外流の万法帰一刀、無刀流の独妙剣、直心影流の丸橋と言われている。
《刀の差し方》
打刀を腰に帯刀する方法には
(1)「閂差し」とは、地面と刀を水平ぎみに差す事である。バランスの関係で本来の閂差しでは柄を少し前に出して差す。
(2)「鶺鴒差し」とは「閂差し」よりも刀を鐺下がりに鶺鴒の尾のように差す事である。
(3)「落とし差し」「鶺鴒差し」よりも更に鐺を下げて差す事である。
(4)天神差し(てんじんざし)とは、甲冑を着て馬に乗る場合、刀を普通通りに刃を上にして差すと、
揺れた時に鞘の鐺が馬に当たり馬が落ち着かなくなるので、太刀のように刃を下にして差す事です。
これを天神差しと呼び、鉄砲隊などもしゃがんで撃つのでこのようにする。
(5)馬手指(めてざし)
(6)その他として「掴み差し」、「ぼっこみ差し」「からめ差し」がある。
又、太刀などの長刀を肩にかけて背負う様子を「輪束にかける」と言う。
馬手と弓手
(1)馬手(めて)とは、弓を持って乗馬する時、馬の手綱を取る方の手、すなわち右手を指します。
(2)弓手(ゆんで)とは弓を持つ方の手、すなわち左手を指します。但し今はつかわれていない。
《稽古とは》
「稽古」を語義から見れば、「古(いにしえ)を稽(かんが)ふ」。
つまり昔のことを考え、調べて自分の技能を上げる努力をするということです。
稽古とは 一より習ひ 十を知り 十よりかへる もとのその一
出典: 利休百首90番
意訳: 稽古というのは、初めて一を習う時と、十まで習い
元の一に戻って再び一を習う時とでは、人の心は全く変わっているものです。
十まで習ったから、これでよいと思った人の進歩はそれで止まってしまい、
その真意をつかむことはできないとの教えです。
朝日新聞夕刊連載小説精鋭には
「稽古は実戦のように、実戦は稽古のように」
と言う文章があり、実戦の心構えで稽古をしなさいということでした。
《過剰学習とは》
繰り返し学習すると学習効果が得られます。しかし、学習効果が得られた後に別の新しい学習をすると、
新しい課題の学習効果は上がるが、前の課題の学習効果は維持出来ない。
一方、獲得した知識や技術を、更に繰り返して学ぶ「過剰学習」をすると学習効果を維持出来るものの、
新しい課題の学習効果は上がら無かった。
この時の脳の働きを磁気共鳴画像装置(MRI)でしらべると、学習で使われる脳の領域は興奮して新しい事を
覚えやすい状態になるが、過剰学習後は逆に抑制され、新しい事を覚えにくい状態になっている。
つまり、過剰学習とは「学習直後の記憶は不安定で壊れやすいが、繰り返し学習することによって素早く固定される」事です。