鞘に鉛を入れた様子
正面を見ながら残心をします
体をゆっくりと右に向ける
剣はあくまでも相手の死体に向けておく
左手を柄から離し、
刀の棟を親指と人差し指で挟み、
鍔元から切先迄指で拭う
左手で切先を挟んだ状態で
右手を持ち替える
右手を外に向け、人差し指と中指で柄を挟み
刀を右回りに大きく回転させる
左手は鯉口を握る
左は、回転した刀を鯉口で受け止めた所
鞘を前に出しながら納刀していく
鞘に収まった所
納刀が終わった所
納刀が終わった所
最後まで残心を怠らない
左手にて鯉口を握り横にしながら、鞘を右手45°位に傾ける。
同時に右手にて刀身の切先を鯉口に近づけながら納刀に入る。次に、鞘を前に出しながら納刀し、納刀し終わったら鞘を元の位置まで引き下げる。
鯉口は上図のように親指と人差し指で
丸く囲む
親指と人差し指で刀を
挟むようにして納刀して行く
手裏剣(根岸流)の練習も行っています。
根岸流手裏剣は”棒手裏剣”を”直打法”で打つのが特徴です。
手裏剣の打ち方には他に”直打法”及び”回転打法”があります。
直打法は手裏剣の剣先を前方に向け、手裏剣を回転させずに打つ手法です。
反転打法は剣先を手首側に持ち、180度反転させて打つ手法で直打法と同様に難しい打法です。
福岡には「筑前藩伝鎮火祭火魔封火打釘」が伝わっています。
この「筑前藩伝鎮火祭火魔封火打釘」も”直打法”で、”鬼面”を的にして練習を行っており、
現在の「甲乙ム」を組み合わせた図版(思無邪:”思いに邪なし”を意味する)へと変化しています。
この「筑前藩伝鎮火祭火魔封火打釘」が生まれた理由は天正17年4月まで遡るようです。
黒田如水が中津を中心とした豊前を封じられた時、地侍の頂点に宇都宮氏がおり黒田如水と対抗していた。
激しい抵抗に謀略を持って宇都宮氏を誘殺している。
中津市の合元寺の壁は元々白壁だったが、戦いの血で幾度も塗り替えても血痕が絶えないので遂に赤壁に塗られたと言い伝えられている。
手裏剣の尾部は木綿糸を着けている